砂糖を使わないイチゴスウィーツ

頴娃町在住の93歳のタキばあちゃん(母の母)にイチゴをもらったので、

宇宙一の妻が、イチゴを使ったスウィーツを作ってくれました。

いちごをおいしくいただくために作ったスウィーツだそうです。

妻に材料を聞いたところ、

 

イチゴ

クラッカー

ミント(庭で採れた自家製)

ココナッツパウダー

 

そして『砂糖不使用のベジカスタード風クリーム』は、

 

小麦粉(薄力粉)

甘酒(妻の弟さんの、だいさん手作り)

ココナッツオイル

豆乳

ラム

とのことでした。

 

甘みは砂糖を使わず、甘酒を使用。

ベジカスタード風クリームにイチゴとクラッカーをトッピング。

クリームのとろみは小麦粉で出したそうで、

白崎茶会講師、料理研究家の白崎裕子さんのレシピをアレンジしたそうです。

ラムを使うことで、甘酒の香りを抑えて洋風な味になるそうです。

 

今朝、わたしが焙煎したばかりの、

フェアトレード・オーガニック自家焙煎コーヒーといっしょにいただきました。

 

砂糖不使用なので、ヘルシーなスウィーツです。

十分な甘さを感じました。

コーヒーともよく合いました。

とてもおいしかったです。

うれしい。樂しい。しあわせ。

ありがとうございます。

 

 

『アースデイかごしま』11年目のライブ出演

2008年より、毎年『アースデイかごしま』にライブ出演させていただいています。

2006年頃に、たまたま鹿児島市のテンパークで『アースデイかごしま』に出逢い、その時は即興で歌わせていただきました。

わたしはその頃、地球環境にすごく意識が向いていた頃で、

同時期に『アースデイ』というイベント知り、

アースデイに憧れていました。

 

鹿児島市内の県立図書館に自転車で行く途中だったような氣がしますが、

偶然、『アースデイかごしま』というお祭りをテンパークで見つけて、感動した覺えがあります。

 

そして、アースデイかごしまに參加させていただくようになり、

アースデイかごしまのご緣で、いろんな人との素晴らしい繋がりが生まれていきました。

 

今年も2018年4月22日(日)に鹿児島市のテンパークでライブ出演いたします。

今年で11年目となりました。

 

『アースデイ』とは地球や環境のことを考え、美しい自然環境に感謝する日だそうです。

また、アースデイは1970年4月22日に誕生したそうです。

 

今年の『アースデイかごしま』はちょうど4月22日に開催です。

鹿児島市のテンパークに、よろしければ、遊びにいらしてください。

 

今日の写真は、2015年にテンパークで開催された『アースデイかごしま2015』にライブ出演させていただいた時のものです。

ありがとうございます。

 

 

ランニングの樂しさについて

今日の櫻島の写真は、朝のランニングを終えた直後に撮影したものです。

最近、ランニングを本格的に再開しました。

iPhoneのアプリを使って、走った軌跡を記録することも同時に再開しました。

日頃から、散歩中に歩いたり走ったりと、

軽く走ることはしていましたが、

意識して『走る』『ランニングを實踐する』

そして『記録する』

ということは、半年ほどお休みしてました。

1年閒毎日、2キロ以上走ることを自分に課して實踐したことも、今まで2囘ありました。

今では『毎日走る』ことを自分に課すようなことはしていません。

體力をつけるためとか、

健康のためとか、

良い書を書くために走るとか、

毎日継續した軌跡を殘すために走るとか、

走った後の樂しみを期待して走る、

とかではなく、

『走ることそのものを樂しむ』

ということを大切にしています。

今までも『走ることそのもの』の樂しさは、それなりに見出せていたのですが、

より結果を期待しなくなりました。

走りたいから走る。

走りたい氣持ちが自然に湧き上がったから走る。

何かを期待して實踐しても、

なかなか續かないです。

走ること自體を樂しむ。

このことが腑に落ちたのも、子どもの頃から今までの、すべての経験があってこそでした。

途上でも、とにかく、この體を使って、實踐したこと自體が尊いんですね。

これはランニングに限ったことではありません。

他の實踐も同じです。

すべての實踐に繋がります。

結果より、實踐していること自體を樂しむ。

それは、大変なこと、困難なことがあっても、

うれしい。樂しい。しあわせ。

ありがとうございます。

 

 

梅山の野鳥

今日は早朝に『野鳥』を書きました。

右上には神代文字のカタカムナも入れました。

カタカムナを書くときは、いつもエネルギーを感じます。

現在暮らしている『梅山』集落では最近、野鳥が増えてきました。

まだ名前も知らない野鳥も見かけることがあります。

自宅には、落葉樹であるエノキやサクラの木がありますが、まだ葉が付いていないので、落葉樹に來てくれた野鳥は特に見つけやすいです。

これから夏に向けて葉が出てくると思いますが、野鳥を見つけるのには、良い時期ですね。

趣味で野鳥を観察し、樂しむ人を『バードウォッチャー』と呼ぶらしいですが、わたしもちょっとしたバードウォッチャーです。

 

筆が天空を舞うように

今日は七十二候『霞始靆』の日でした。

本日、書いた書です。

 

今年に入った頃から、筆の持ち方が変わりました。

今日のこの書は小筆を使って書いたのですが、

筆を持つとき、意識的に一番上の方を持つようにしているんです。

小さな筆になると、筆を上から覆いかぶさるような感じの持ち方になっています。

 

ではなぜ、このような筆の持ち方をしているのかといいますと、

あえて、筆を不安定な状態にして書きたいからです。

 

子どもの頃は、それこそ筆の一番下あたりを持って書いていました。

先生のお手本を見ながら、とにかくきれいな美しい字を書くことが第一条件でしたので、

「こう書きたい」とイメージした通りに書くことを求めていました。

筆の下を持つほど筆は安定し、ブレを軽減できますが、

その分、腕や筆の自由な動きが減るように想います。

 

今は、きれいな字を書くことが目的ではないで、

逆に筆をあえて不安定な状態にして、自分以外の力や筆の運びを樂しみたいんです。

いつもまず自分がドキドキしながら書いていたいんです。

筆が天空を舞うように。

線の揺れも樂しんで。

書の基本、型を大切にしながら、

日々、書を自由に書いているうちに、

今は、自然とこのような筆の持ち方、スタイルになっています。

 

 

姶良市の有機無農薬野菜

今朝の重富海水浴場の樣子です。

朝日が美しかったです。

 

現在暮らしているここの姶良市は、

有機無農薬野菜が、いろんなところで購入できます。

2002年から、故郷の南九州市穎娃町で、一人、畑を耕し始めた頃は、

穎娃町で有機無農薬野菜を購入できるお店は、どこにもなかったように想います。

穎娃町から、40キロほどの距離にある鹿児島市内には『地球畑』という有機無農薬野菜を賣っているお店があるので、ここで購入していました。

 

あれから16年ほど経ち、2014年からは姶良市に暮らしていますが、

今では、有機無農薬野菜が姶良市のスーパーなどで毎日のように購入できます。

しかも、他の野菜と値段もほとんど変わらないです。

自分でも無農薬のお野菜を作っていますが、

暮らしている地域で、有機無農薬野菜を購入できることが、ありがたいと想っています。

ありがとうございます。

 

 

剣の平と梅の花

ご緣あって、2016年10月1日の新月の日から『梅山』という地に暮らし始め、

『梅の花』がわたしにとって特別な花になりました。

ここの『梅山』集落は、近くにある『剣の平』という山の影響もあってか、

今まで暮らした場所で一番寒く感じる場所です。

その分、空氣が澄んでいて、水も良いところです。

今年の冬は特に寒かったので、梅の花が咲いた今年の春に、一層の喜びを感じています。

 

カバラ數秘術の『33』を深める

昨日は、カバラ數秘術のスピリットナンバー『33』について書きました。

カバラ數秘術はやっぱり樂しいです。

樂しかったので、今日もカバラ數秘術『33』について書きたいと想います。

 

今朝の早朝、まだ暗いうちに

『カバラ數秘術 スピリットナンバー 33』

を半紙に書きました。

左下にはキーワードも入れました。

 

カバラ數秘術

スピリットナンバー

33

人類の透明な愛の奉仕者

宇宙のすべてを包み込む普遍的な愛

三十三觀音

世界平和

無償の愛

レインボー

 

2009年、妻と出逢った頃に、

自分のスピリットナンバーが『33』であることを教えてもらい、

うれしかったことを覺えています。

 

自分はこれでいいんだ、この生き方でいいんだと、

以前より、自己肯定できるようになりました。

 

はづき虹映さんの本には、

宇宙規模のスケールを持つ「33」は、この世の常識では計り知れない「インパクトの大きいエネルギー」「激動の転換点」という意味を持つ。

と書かれています。

なので、33番さんはこの世の常識では計りづらい生き方をしてしまう傾向にあるんでしょうね。

わかります。

 

また、はづき虹映さんのブログには、

〜実際、多くの33番さんが「生きにくい生き方」をされています〜

と書かれています。

 

まだスピリットナンバーのことを知らない、

わたしと同じ33番さんが、ご自身のスピリットナンバーを認識されて、

わたしと同じように、以前よりも、少しでも心が軽くなってくださったらうれしいです。

また、33番さんに限らず、

まだご自身のスピリットナンバーを、ご存じでない方も同樣です。

 

昨日も紹介させていただきましたが、

カバラ數秘術については、よろしければ妻の記事をご參照ください。


「本当のわたしに出逢う旅」
華栄千夏のカバラ數秘術

https://mall.373news.com/felia/?p=24338

 

カバラ數秘術に感謝です。

ありがとうございます。

 

 

カバラ數秘術の『33』について

姶良市は、だいぶ暖かくなってきました。

今日はポカポカ陽氣になり、

外で寝るシロスタイルに、春を感じました。

 

先日、初めて羽生結弦さんがフィギアスケートをされているお姿、そしてお話しをされているお姿をテレビで拝見しました。

羽生結弦さんの誕生日を調べると『カバラ數秘術』でわたしと同じ『33』番さんでした。

カバラ數秘術については、

よろしければ、妻の記事をご參照ください。


「本当のわたしに出逢う旅」
華栄千夏のカバラ數秘術

https://mall.373news.com/felia/?p=24338

 

羽生結弦さんは、わたしと同じスピリットナンバー『33』ということもあって、

羽生結弦さんの話し方やたたずまいなどを觀ていると、

「同じ33番さんだなー。」

と想いました。

久しぶりにわかりやすい、33番さんでした。

ちなみに黒柳徹子さんや井上陽水さんなども33番さんです。

 

妻もわたしも『カバラ數秘術』が大好きなので、カバラ數秘術のことについて、

いっしょにお話ししたり、

學びを深めていくことが樂しいです。

妻は頼まれて『カバラ數秘術』のお仕事もすることもあります。

これからも夫婦共々、

『カバラ數秘術』を使って、ご緣のある方にお話しをさせていただける日を樂しみにしています。

 

 

商店街で育ち、大人になった

今日は雨の一日になりました。

夕方、妻とシロといっしょに車で出かけました。

この後、お買い物をして帰りました。

 

わたしは子どもの頃、穎娃町の石垣商店街で育ちました。

父が自宅で商賣をしていたので、いつもお客さんが訪れてくるような、にぎやかな環境でした。

子どもの時の、商店街での人との盛んな交流が、

今のわたしに大きな影響を与えているのだなと、今になって想います。

大好きな映画『男はつらいよ』に出てくる「とらや」に多少似ている環境だったように想います。

なので、わたしは『男はつらいよ』を観るとなんだかホッとします。

『男はつらいよ』は、

《第34作 寅次郎真実一路》

の時に石垣商店街で撮影を行っているんです。

その時のことは今でもよく覺えていて、

渥美清さんが撮影の時に立ち寄られたのか、

親戚のおじさんの家で撮影した記念写真がありました。

この撮影の後、うちに渥美清さんのサインが飾られていたことも覺えています。

今でも『男はつらいよ』はわたしにとって特別な映画です。

 

わたしは商店街で育ち、大人になりました。

おかげさまで、今年44歳になりますが、

新しい流れが生まれており、ワクワクしています。

 

 

重富の『剣の平』

昨日、うちの近くにある山『剣の平』について書きましたが、今朝、久しぶりに剣の平を重富漁港から撮影しました。

現在暮らしている『梅山』集落はこの剣の平の麓になるので、いつも身近に感じている山です。

剣の平が梅山に、澄んだ空氣をもたらしてくれていますし、剣の平の方からエネルギーを感じることもあります。

うちの近所には鹿児島でもっとも古い焼酎會社『白金酒造』があります。

白金酒造
http://www.shirakane.jp

『焼酎造りは水と空氣と原料がいのち』と白金酒造のホームページに書かれていますが、

この辺りは、昔から良い水が確保できる場所だったのだろうと想います。

私たち家族も多分『白金酒造』と同じ水(井戸水)で暮らしております。

今の家に暮らし始めて1年半ほどになり、

天然水で暮らしていることがすっかり日常になりましたが、

あたらめて、本当にありがたいことだと想いました。

ちなみに子どもの頃に、故郷の穎娃町でいつも身近に感じでいた山は『開聞岳』でした。

現在は『剣の平』と『櫻島』です。

今夜観たNHK大河ドラマ『西郷どん』も櫻島が印象的でした。

山はいいなー。

山はわたしたちに、たくさんの豐かさをもたらしてくれますね。

ありがとうございます。

 

 

梅山の朝日

今日はさわやかな朝でした。

シロと散歩しながら、大隅半島の方から出た、美しい朝日に感動しました。

現在、暮らしている『梅山』集落は西の方に『剣の平』と呼ばれる山が近くにあるので、夕日が沈むのが早く、暗くなるのも早いです。

冬は特に早いです。

2002年から10年ほど暮らした穎娃町の虹のアトリエは、逆に夕日がきれいに見えるところでした。

こんな経験をしているので、同じ鹿児島でも近くに山があることで、生活環境がこんなにも違うんだなと想いました。

暮らし始めて氣づいたことの一つです。

穎娃町に比べて梅山は一年を通して、湿氣も少ないです。

洗濯をした服を外で乾かすと、違いがよくわかりました。

また、梅山は朝日が、とても美しいところで、

快晴の日などは、とても明るく感じる場所です。

基本的に、朝起きスタイルのわたしに合っている場所に導かれたのだなと想っています。

ありがたいです。

 
 

今日は妻と昨年の11月、姶良市にオープンした『WellBe Club』に初めて行ってきました。

WellBe Club
https://wellbeclub.com

今日は見學だけだったのですが、温泉は「源泉かけ流し」のことで、いつかゆっくり入りに來たいと想いました。

 

 

『第3囘 めんめいろマルシェ』に參加してきました。

慈眼寺駅の近くで開催された『第3囘 めんめいろマルシェ』に參加してきました。

『めんめいろマルシェ』

http://menmeiro.com

スピリットナンバーの書(カバラ數秘術)で出店させていただきました。

カバラ數秘術の凄さを、あらためて感じた日になりました。

新しい人との出逢いもあり、おかげさまで素敵な一日になりました。

梅の花2018

昨日から、だいぶ暖かくなってきました。

14時すぎ、一人で散歩に出かけました。

散歩の途中、梅の花がふと目にとまりました。

 

iPhoneを取り出し、撮影しました。

 

「今年の冬は43年生きてきて、人生で一番寒い冬だったかもしれない。

寒い冬を越えて、今年も梅の花をこうして見ることができてありがたい。」

そう想いました。

 

西郷隆盛先生の漢詩の一節『耐雪梅花麗』が今日も頭に浮かびます。

 

耐雪梅花麗  雪に耐えて梅花麗し ゆきにたえてばいかうるわし

厳しい雪に耐えてこそ、可憐に匂い立つ梅の花は美しく咲く

 

わたしが今暮らしている集落は『梅山』。

自治會長さんから直接教えていただいたのですが、

梅山には昔、島津のお屋敷があり、梅がたくさん植えたれていたそうです。

これからここの梅山で、美しい梅の花を見ることができると想います。

そして次は櫻。

樂しみです。

 

明日は、慈眼寺駅の近くで開催される『第3囘 めんめいろマルシェ』に參加してきます。

『めんめいろマルシェ』 http://menmeiro.com

カバラ數秘術で出店します。

10:30〜15:00です。

よろしければ、遊びにいらしてください。

 

 

13年閒、共に歩んできたメインギター

2005年2月7日から、今日まで13年閒いっしょに歩んできたメインギターの『Takamine TDP-012』。

このギターと共に、いろんなところで歌ってきました。

アカペラで歌うことは無いので、歌うときはいつもいっしょです。

ギターは、わたしにたくさんのしあわせとギフトをもたらしてくれました。

ありがたいです。

 

ライブ出演のお知らせです。

2018年4月22日(日)に2つの会場でのライブ出演が決まりました。

鹿児島市のテンパークで開催される『アースデイかごしま2018』と、

吹上永吉で開催される『蓑笠市』です。

ライブの演奏時閒帯はまだ決まっておりませんが、どうぞよろしくお願いいたします。

 

2018年3月11日(日)は鹿児島市の天文館にある『音楽館Rain』というお店でライブ出演が決まっております。

松崎博彦さんのCD販賣コンサートで、

3曲ほどオープニングで歌わせていただくことになっています。

こちらもどうぞよろしくお願いいたします。

 

今日の写真は2016年7月16日に半紙に書いた『Takamine TDP-012』です。

 

 

宇宙船のような『ふくれ菓子』

今日のシロと櫻島。櫻島には雪が積もっておりました。

 

明日はバレンタインデーということで、妻が鹿児島の郷土菓子である『ふくれ菓子』を作ってくれました。ココア味で黒砂糖を使って作ったそうです。表面にはミカンの皮が乗っていました。小さなマイ焙煎機を使って焙煎した、自家焙煎コーヒーといっしょに、おいしくいただきました。鹿児島では、近所の物産館やスーパーなどで、店頭に並んでいるふくれ菓子を見かけます。昨年、妻が初め作った『ふくれ菓子』をいただいて、感動したことが思い出されます。今日のふくれ菓子はよく見ると宇宙船のようだと思いました。

 

 

『白銀坂』は古代の國境

2016年から暮らしている姶良市脇元には、

日本の史跡である『白銀坂』があります。

ここの坂は古代では「薩摩國」と「大隅國」との國境だったのだそうです。

わたしは薩摩半島の南『穎娃町』で育ったので大隅半島、古代でいえば、大隅國は遠い感じがしていました。

姶良市に移住してきて、大隅が身近に感じられるようになりました。

ここで暮らしていると大隅産のお野菜が店頭に並んでいることも多いですし、車で45分ほど走れば大隅半島の福山町くらいまでは、フェリーを使わなくても行くことができます。

『古代の國境の辺りに暮らしている』

このことをあらためて觀じていると、

マヤの叡智で、わたしの銀河の署名が

『白い宇宙の世界の橋渡し』

であることが、頭に浮かびました。

「宇宙と地球の橋渡し的な役割をさせていただける場所で暮らし始めたのだな。」

そう想いました。

姶良市脇元は、自然が豐かで素敵なところです。

『古代の國境』であった白銀坂の近くで暮らしていることに意味を感じた日でした。

シロのマフラー

昨日は昨年、最も印象に殘った曲について書きましたが、

今日は、ちょうど一年前に書いた書が印象深い作品でしたので、アップいたします。

 

『SHIRO 12years old winter シロ 12歳の冬』 2017.2.11

マフラーの色以外はすべて一筆書きで書いたことが思い出されます。

 

今日のシロ。

朝の8時前に、お野菜を育てている畑で撮影しました。

狙って撮影したわけではないのですが、上の作品と、この写真のシロが似た表情をしているので、ちょっとびっくりです。

さすがに、マフラーは新しいものに変わりました。

今は2種類付けています。

シロはマフラーが好きみたいです。

 

 

フジファブリックの『若者のすべて』

今日は1997年にロンドンで結成されたというロックバンド『コールドプレイ』の曲を聴いて感動した日でした。

曲を聴いて感動したといえば、昨年の夏、特に印象に殘っている曲があります。

ここ最近の中で、わたしに最も感動を与えてくださった曲。

それは、昨年の夏、妻といっしょに車の中、ラジオから偶然流れてきた曲でした。

 

 

~最後の花火に今年もなったな

何年経っても思い出してしまうな~

 

日本のロックバンド、フジファブリックの『若者のすべて』という曲でした。

最初、ユニコーンっぽい曲だなと思ったんですが、ユニコーンとはまた違う魅力があると感じました。

曲が終わり、素敵な、美しい、素晴らしい曲だったなー。と想い、すぐにiPhoneを取り出し、フジファブリックについて調べてみました。

なんと、この曲を書いた『志村正彦』さんという方は、すでに若くで他界されていることが判明。2009年のクリスマスイブの日に29歳で他界されていました。

ユニコーンの奥田民生さんとも交流があったようでした。

志村正彦さんのお顔をweb上で拝見すると、音樂雑誌で見たことがありました。

でも、フジファブリックの曲は全然聴いたことがありませんでした。

 

數日経ち、iPhoneで、この『若者のすべて』をいつでも聴けるようにしました。

『フジファブリック 若者のすべて』のリリースが2007年11月7日。

うちの母の誕生日の日。

10年ほど前に、こんな素晴らしい曲が作られていたなんて。

 

~最後の花火に今年もなったな

何年経っても思い出してしまうな~

 

本当に素晴らしい曲。

泣ける。

涙が出る。

優しいし、ものすごい情熱。

情熱の薔薇。

ロックンロール。

 

志村正彦さん、そしてフジファブリックのメンバーのみなさん、本当に素晴らしい曲を創り、そして殘してくださり、感謝しています。

ありがとうございます。

 

 

初めていっしょに暮らした犬

先日、ここのブログで、子どもの頃の感覺を思い出しているということを書きました。

(写真の一番右がわたし。隣が妹の桜です)

小学生の頃、生き物が大好きでした。飼育係もしましたし、図書館では椋鳩十先生の本が好きで讀んでいた記憶があります。

現在暮らしている姶良市には『椋鳩十文學記念館』があり、うれしいな、ありがたいなと思っています。

子どもの時に、家で飼っていた犬の影響は特に大きいです。父がどこかで拾ってきた『ポチ』というメスの雑種犬。

生まれて初めて、いっしょに暮らした犬なのですが、緣側の床下で、ポチが赤ちゃんを産んだときの衝撃は今でもよく覺えています。生まれたばかりの犬の赤ちゃんはとても小さくて、かわいくて夢中になりました。

ポチの赤ちゃんの父親は多分、どこからか、うちに勝手に入っていた犬です。まさか拾われてきたポチが赤ちゃんを産むなんて想像もできませんでした。

子どもの時に、自宅で犬の赤ちゃんに立ち逢えたことは素晴らしいギフトだったと思います。

今でも14歳になったラブラドール・レトリバーのシロといっしょに暮らしていますが、昔もそして今でも、犬からたくさんの喜びと笑いとしあわせをいただいています。

ありがとうございます。

姶良市からの霧島連山

2014年に姶良市に移住してきて、5年目に入りました。姶良市から霧島連山が見えるということを知ったのは、移住してからのことです。現在暮らしている梅山集落の近くにある重富漁港から、霧島連山を望むことができます。この写真にも高千穂峰と思われる山が写っていますが、雪が積もっているのが、はっきりとわかります。

わたしが育った故郷の穎娃町は、開聞岳をとても美しく眺めることのできるところですが、今現在、暮らしている姶良市では櫻島や霧島連山を眺めることができ、ありがたいです。

鹿児島の美しい山々に、わたしはたくさんの力をいただいてきました。山を書や繪にすることは、わたしの喜びです。

姶良市の『山田の凱旋門』と、パリの『エトワール凱旋門』

朝は少し雪が降りましたが、お昼からポカポカ陽氣になったということもあり、妻とシロといっしょに初めて、姶良市の山田地区を訪れました。車で20分くらいで到着しました。

山田地区にある山田橋で記念撮影。

山田地区といえば『山田の凱旋門』が有名です。まず、ここを目当てに行きました。山田の凱旋門のパンフレットにはこう書いています。

 

~この凱旋門は明治37.8年の日露戰争に、当時の山田村から従軍したら人たの無事な帰還を記念して、明治39年(1906)3月に山田村兵事會が建設したものです~

~石造りの凱旋門は、鹿児島が誇るアーチ式の石橋技術を応用したものであり、全國的にも大変珍しい貴重な文化財です~

 

フランスのパリの象徴的な建造物に『エトワール凱旋門』がありますが、ここで氣付いたことがありました。ウィキペディアを讀むと、エトワール凱旋門の着工が1806年。山田の凱旋門の建設が1906年とあり、ちょうど100年違いでした。

大きさは、全然違います。山田の凱旋門の高さ4.7m、幅4.9m。エトワール凱旋門が高さ50m、45mでした。

エトワール凱旋門は大きいんだなー。

ちなみに、昔、鹿児島市のいづろ通には高さ13m、幅9mの凱旋門があったそうですが、1945年に空襲で燒失してしまったそうです。

 

ブログを書いている途中で、妻が

「パリに凱旋門があるよね。」

とたまたま言ったことで、

「そういえば、そうだね!」

となって、

ありがたい氣付きをいただき、

繋がった姶良市の凱旋門とフランスの凱旋門。

現在、暮らしている姶良市からフランスに想いを寄せた夜になりました。

 

 

チューリップを描いた立春の日

妻がチューリップを買ってきて、部屋に飾りました。

黄色い花瓶に生けられたこのチューリップは、とても美しいピンク色で、ハスのようだと想いました。

チューリップが昔から大好きなんです。

「このチューリップを描きたい」という想いが、自然に湧き上がってきたので、

本日の立春の日に現物を見ながら、描きました。

詩も入れました。

 

立春ノ日 雪ガ降ッタ

野鳥が増エテキテ

賑ヤカニナッテキタ

オ日樣ノ光ガアリガタイ

 

寒い日で、手がかじかんだけど、

「それもきっと、線の味わいになるさ」

と想っています。

その時々の自然(氣温、湿度、自分の體調など)の状態が表せるのが、書の魅力だから。

二十四節氣では、立春の前日である「節分」を大晦日、春の始まりである「立春」をお正月と考え、一年の区切りとしているそうです。

2018年の立春の日。

氣持ちを新たに、ますますうれしい、樂しい、しあわせな、素晴らしい人生にしていきたいと想います。

 

 

愛して 身をもって 天下となす

今日は老子のお言葉を書きました。

『愛して 身をもって 天下となす』

いつものように、半紙サイズの手漉きの天然和紙に書きました。

この作品で使用した筆は1本のみです。

最近は、「少ない道具でいかに表現できるか」という表現を樂しんだりしています。

この『愛して 身をもって 天下となす』の訳をfacebookで見つけたので、ここでも紹介させていただきます。

 

愛して 身をもって 天下となす
(老子十三章)

人閒として、この世に天地自然から授かった命を、

自己を深く眞剣に、

愛して生きていければ、

なんと尊い存在であるということを知り得るであろう。

人閒は時として、自己の生命活動の素晴らしさを無感覺に過ごしてしまうことがある。

物質的に手にできる「オカネ」を熱愛してしまい、自己を愛することを忘れてしまう。

氣づいて欲しい。

自分が人閒として生まれ、

人閒として無限の創造性と、無限の可能性を實現し得る存在だということを。

 

*☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆*

 

ここ最近、小学1、2年生の頃の感覺を思い出しています。

この頃に大好きだった『機動戰士ガンダム』最近不思議と観たくなり、

GEOでDVDをレンタルして観ました。

あの頃は、日々の生活のために必要なお金のことで心配することは無く、

未來は希望にあふれ、

無限の可能性をどこかで信じていたような氣がします。

あのときの素晴らしい感覺を思い出せたこと自體がギフトだし、

これからも、この素晴らしい感覺を持ち續けていたいです。

そして『自己を深く眞剣に、愛して生きる』ということも忘れずに生きていこうと想いました。

 

 

耐雪梅花麗の書

今日は西郷隆盛先生の漢詩の一節『耐雪梅花麗』を書きました。

ネットでたまたま英語の一節も見つけたので、左の方に入れました。

2年ほど前から、多くの「絵の入った書の作品」を生み出した経験が、

今日のような、絵を入れない作品にも「生かされている」と感じ、うれしくなりました。

無駄なことは何一つ無く、すべての實踐がいつか生きてくる日が來るんですね。

耐雪梅花麗 雪に耐えて梅花麗し ゆきにたえてばいかうるわし

 

夕方、妻と近所の重富海水浴場に散歩に行きました。

2014年から2016年まで、ここのすぐ近くに暮らしていましたが、

あらためて素敵なところだと想いました。

 

わたしの暮らす梅山は今日も寒い日でした。

厳しい寒さを耐え忍ぶからこそ、初春に美しい花を咲かせる梅の花。

早起きをして、早朝の厳しい寒さに耐えてこそ、お昼のポカポカ陽氣に、しあわせをますます感じる。

これは、新聞配達をしていた頃に体にしみついている経験です。

種を蒔いた日々の實踐が、いつの日か、花咲くことを信じて、自分のマイウェイを歩いていこうと想います。