この地球で母とのお別れ

2022年4月6日の朝、母 中村多津子が他界いたしました。

73歳でした。

本当に急なことでした。

母は鹿児島市内で一人暮らしをしていたのですが、2022年4月6日の朝、妹たちが逢う約束をしていたそうなのですが、連絡しても繋がらず、

母の自宅に義弟が駆けつけたときは、すでに息を引き取っていたとのことでした。

母が亡くなった朝、わたしは母とLINEでやりとりをしていました。

わたしとのLINEとのやりとりを終えた30分後くらいに息を引き取ったようです。

亡くなった原因は大動脈解離でこの病気は症状が一瞬のうちに起こるため、病院にたどり着く前に50%の人が亡くなると言われているそうです。

わたしの敬愛するシンガーソングライターの大滝詠一さんも同じような症状で他界されたようです。

母が他界し、1週間ほど経ち、ようやくこうしてみなさまにブログでお知らせできる力が湧いてきました。

ありがたいです。

最後の母のLINEのやりとりでは、こんな文章が殘されています。

『73年閒生きてきて、振り返れば、思い当たること、たくさんたくさんあります。

これからに、生かしていきたいと思っています。』

愛する母。

優しい母。

無償の愛で、わたしを本当に愛してくれていた母。

本当にさみしいですが、

母が殘してくれた、たくさんのたくさんの愛を受け継ぎ、

この地球で、ますます愛と喜びとしあわせを広げて生きていきます。

母 中村多津子は鹿児島県南九州市頴娃町の石垣で『平和旅館』という名の旅館を営んでいた両親の元で育ち、大学を卒業してすぐに小学校の教員として働き始め、結婚して、長男のわたしが生まれ、弟が生まれ、妹が生まれ、3人の子どもを育て上げ、小学校の教員として天職を全ういたしました。

母が存命中は、ご緣のあられたみなさまに本当にお世話になりました。

みなさまに感謝申し上げます。

添付させていただいたお写真は、故郷の頴娃町石垣で撮影した母の父のじいちゃんと母とわたしです。

お母さん、本当にありがとう。

お母さんに、感謝いっぱいです。

ありがとうございます。